われわれの意識の流れは絶え間なくたゆたい、逃げ惑うがごとく、
瞬時もとどまることがありません。
心のうちに流れるイメージや音は、
水の流れがときには勢いにまかせて渦巻き、砕け散り、水飛沫(しぶき)を弾かせ、
水面に浮かんだ白い泡沫をひきずりながら流れてゆくにも似て、捉えどころがありません。
‘無思考’という状態をあえて申し上げれば、そういうこと。
見ていても見えてない、聞こえていても聴いていない。
つまりなんらわたしという主体の自覚に繋がらない、そうしたとりとめのない
仰山なイメージやら音やらを内に抱えながら生きている。
それを我々は生きてると称するわけですが、それが往々にして生きてるという実感にはならない。
それ故にひとは時としてひどく悩んだり苦しんだりするということがあります。
自分が何を見ているやら何を聞いているやら、それで解ったとか知ってると言えるものやら、
皆目自分が解らないといったような心理状態がそれです。
わたくしどものように「精神分析」を生業にするとはすなわち、これら声にならないブツブツの呟きをことばとして聞き取り、
またさんざめく光の渦にかたちを見いだしてゆくことなのでありますから、専門的な耳が、そして専門的な眼が要請されましょう。
人間というものは渾沌カオスに魅了されるものですから、むしろ無思考という状態が自然であるともいえましょう。
そこに敢えて自覚とか意識化を持ち込むことは、やはり抵抗やら違和感を覚えるということがあるやも知れません。
東洋人にとって、それが強いようであります。
ただその一方で、同時に人間というものは、渾沌に抗しながら、どこまでも秩序を求めようとするものであります。
精神分析に日々携わりながら、摩訶不思議というか愉悦に充たされる瞬間とは、実にそうした意識の営みに直截的なかたちで遭遇するときです。
つまり、意識が秩序を、規律を、つまりは辻褄合わせを執拗に追及してとことん飽きない懲りないということなのです。
イギリス人はenlightening啓蒙的ということばが好きであります。無明なるものに一筋の光が照らされるという感覚は、
日本人にしても同じく心響くものがありますが。違いがあるとすればなによりも、思考なるものはことばによって枠づけられ筋立てられる、
それがロゴス(論理/ことわり)であれ、ミュートス(物語り/筋)であれ、そうしたことばへの絶大な信頼であります。
それが西洋的ということになりましょう。
折々に心のうちの喧騒の谷間から、もしくは空虚な暗闇からか、ひょいと
きまぐれに‘ことばの訪れ’があります。おとずれ、それを音信とよんでいるのですが。
大急ぎで手元にある携帯電話を手にとり、取り敢えず書き綴り、
それからパソコンの自分のメールアドレスに送信いたします。
去年の暮れ頃からでしたか、それが習慣になりまして。なかなかどうして
私の携帯から私のパソコンへという、この距離間が結構気に入っております。
それらメールは《独りがたりの記》というファイルに収まっておりまして、
それはなぜかといえば、メールが自分宛て、つまりは独り言ですから。
読み手に解らせることを主たる目的としたものではそもそも無い。
ただまったくの私ごとなのでして。己の茫漠たる生来の気質、雑駁でしか
ない知識、散逸しがちな自己意識に、なんとかそれなりに思考の跡付けを
もくろんでのことでありました。つまり自覚を呼び醒まさせんとする促しで
あります。ですから、いつしかそれは、「こころのスケッチ(心象風景)」とも
「思索ノート」とも呼べるようなものになっているやもしれません。
此の度、それらのうちから差し障りのないものを抜粋して、ホームページ上に掲載することに致しました。
心理臨床家として自己開示するということには職業上の守秘義務に抵触しないという鉄則があり、
それは私個人のプライバシーに付いても同様でありますから、従って文章が読み手への配慮に欠けると
いうことがあるのは否めないということをまずはご了承いただきたい。
それでも尚、なにかしらそこに‘あなた’宛ての‘音信(おとずれ)’の聞かれることがありますならば、
私としては大変嬉しく思います。
(補足:目次メニューのそれぞれ日付のあとに、便宜上キーワードを一つ添えておきましたけれど、
本来どの文にもテーマは無いものとご承知くださいますように。)
(2009/11/24記)
2012/12/9 「漱石」&夜泣きする子ども 夜泣きする子どもの声が聞こえる。漆黒の闇の中から執拗に漏れ聞えてくる。夜陰に遠吠えする犬の声も混じっていたかもしれない。ずうっとずうっと遠い彼方、記憶のとばりの陰に巣くったまま・・。 |
2012/11/24 セルフポートレート舞台裏 いつぞや【フォトギャラリー】に掲載した「附録・セルフポートレート」について振り返ってみたい。そもそも事の起こりはウォーキング・ツアーで赴いた長野県の戸隠の地で、鏡池から奥社参拝へと向かい、その帰途の参道で偶然ながらカメラアイで光と影に戯れたことにあった。 |
2012/11/10 あなたも頑張って! 或る日、私が買い物から戻ってきて、たまたま正面玄関からエレベーターに乗り合わせ一緒になった女の子がいた。小学校の5年生ぐらいかしら。行き先が同じ6階ということで、どうやら606号室の学習塾通いの子らしいとはすぐに察せられた。しばらくすると彼女が<今日が初めての日なんだ・・>とか、お喋りし始めた。私が<まあ、そう・・>と軽く反応すると、ややして<ちょっと緊張してる・・>と彼女、ボソッと打ち明けた。私もつられて、<頑張ってね・・>と言う。彼女、頭をコクンと頷く。エレベーターを出るや、振り返りもせず、いざ出陣!といった、きりっとした面持ちで、真っ直ぐに塾の部屋へと向かって姿を消した。いいなと思う。塾の先生方もいい子が来てくれたと、さぞ喜んでおられるだろうと思ったら、何やら妙だけど、私は或る種の妬ましさすら覚えた。 |
2011/10/21 男純情 最近あれこれ「夏目漱石」関連の文献を漁りながらも、やはり「漱石」の書簡集が面白い。殊に門弟たちに宛てた書簡に痛く感銘を覚えた。妙な言い方だけど‘男純情’が充満してるのだ。「諸君子」相手に気炎を吐くやら、愚にもつかない己の戯言やら自虐めいた繰言を漏らすやら。なんとも諧謔に溢れている。時には苛烈に相手を叱咤するものの、しっかと懐に温かく抱き込んでいるさまが実に心憎い。末尾に「呵々」とあるのが愉快だ。門弟誰しもが漱石の‘父性愛’にはぞっこん参ってる!どっちもどっち、この‘男純情’が凄くいい!羨ましいというか、折々にウルウル涙した。 |
2012/08/25 夏目漱石と私 妙なるご縁で或る人に<夏目漱石と山上先生とは歴史的には一つらなりです>と指摘された。漱石がロンドン留学を振り返って「不愉快な」という言葉で一括りにしていることなどまるで知らなかったのだが。なぜか一瞬不意を衝かれたみたいに、胸苦しい感覚に襲われた。まるで1900年代の霧深いロンドンに引きずり込まれるような・・。ついで、ある種の忌避感が胸から迫り上がった。私のロンドン留学体験をトラーマとは一概に言えないだろうに、あの異国で孤独だった自分のからだのどこかに当時の閉塞感やら、もっと言えば迫害感が案外と滲みついたまま消えないでいる、と改めて気づかされて、ちょっと内心慌てた。 |
2011/12/11 共鳴板としての他者 サミュエル・ベケットの著作に親しみながら、往々にして疑問符??の靄にすっぽりと絡み取られるようで躓きながらではあるのだが、その折にふいと私の2歳半年下の実妹がかなり昔に何気なしに語ってたことが想起された。彼女は京都府宇治界隈の小学校で養護教諭をしていて、地元の児童らのさまざまな家庭の事情に通じていたわけだが。<近頃は、‘母親’ってのはいっぱいいるけど、‘オカーチャン’ってのがいなくなった・・>と言うのだ。何故ということもなしに一瞬ヒヤッとした。母親たちに、そしてもちろん子どもらにも一体何が起きているんだろうかと胸を付かれた。もしやして我々日本人のメンタリティーが否応もなく西欧化されてゆくうえで避けられない何かしら‘陥穽(落とし穴)’に嵌ってるのではないかと気遣われ、それ以来ずうっと気掛かりであった。 |
2011/11/21 「死ぬなよ!」 或る昼下がり。私は千駄ヶ谷駅へと向かっていた。黒いランドセルが2つ、私の眼の斜め下で、仲良く並んで揺れていた。どちらにも両脇に小さい布袋が幾つもぶら下がっている。近くの『千駄ヶ谷小学校』の下校時の男の子の二人連れであった。彼らは家路に向かい、寡黙に共に歩を進めていた。そのうちの一人の子の家が近づいたらしい。サヨナラはもう目前。ふいにその連れの子が「死ぬなよ!」と、彼にぼそっと声を掛けた。我が耳を一瞬疑ったが、疑いは無かった。言った本人が照れ笑いをし、傍らの子をチラッと見やった。言われた当人も同じく笑いを噛み殺し、顔を赤らめたふうに下を向いてる。彼らの後ろでそのやり取りを盗み聞いてしまった私も笑いをひそかに押し殺した。なんと大仰な!ややしばらくして、ついに別れ道に差し掛かる。「じゃあな!」と、双方が挨拶を交わした。その折に私は彼らの脇を通り越したのだが・・。「死ぬなよ!」と言った方の子が、曲がり角で去っていった子どもの後を追い掛けるように一瞬踵を返す仕種をしたのを眼の隅で捉えた。「又、明日ね・・」とか、もう一言なにやら伝えたい思いがあったのかしら・・。よっぽど仲良しなんだわと、ほっこりと私の胸の奥が温まる。 |
2011/11/13 わくらば回想 遥かなる時の彼方を越えて私の手許に残った、色褪せたライトブルーのエア・メール便の束がごっそりと私の目の前にある。差出人は私自身。宛名は姉だったり両親だったり・・。古びた紙が変質している。それは、まるで先日の西沢渓谷ウォーキングで渓流沿いを歩きながら拾い集めた紅葉の葉っぱが、ポケットに入れたまま持ち帰り、一晩経れば、見る影もなく枯れ、色艶を失っていたのと同じなのだが。しかも違うのだ。そこには時間の変移は無い。私の自筆、幼い丸っこい字には今尚、‘今’が息づいている。今それを読む私は、そこに書かれている私を今という現在に見る。それは私なんだろうが・・。その私を取り巻く環境がめずらしくもあり、見覚えがあったり、まるで無かったり・・。かなり以前にそれらの手紙をワープロに入力して保存してあった。いつかそれら手紙の束は破棄するはずだった。だが、なんだろう、この感触は!時が刻まれている。そして尚も想いを伝えている!古びていて、しかも古びていない。もはや私の記憶のなかにも無かったものが、あった!また会えた!なにより思いがけなくも、私の生きた軌跡が一筋の道として辿れることに感慨無量となった。 |
2011/11/02 消えないシャボン玉 近頃、郵便受けに大きな四角い封書が届けられている。裏には「ギャラリーあべ」と大きく印刷されてある。オッと思う。開封すると、A4版の紙に大きな平仮名でヒデアキ先生の創作したおはなしが綴られている。ウ~ム、これは読ませる!画家のヒデアキ先生は古希を迎えられたところで、『創作童話』に挑戦してるんだそうな。「五十の手習い」じゃないけど、慣れぬ文章修行に懸命に励んでおられる。日頃から小学校などに講演に招かれて、子どもらを前に『人生は宝の山』などと語ってきかせたりしてるわけだから、語りは得意であるのは知ってはいたけれど・・。 |
2011/10/30 クライン派のスティグマとは 或る日のこと、洗面台の鏡に映る自分の顔を見て、ふと目元の辺りに眼がとまり、あることを想起させられた。メラニー・クラインの晩年のポートレートだが。そして、かなり昔々のことなのだが、当時親しかった或る友人に言われたことがあったのを想起した。「彼女のここら目の辺りがチズに似てる・・」って・・。ギョッとした。まだ30代だった私には、まさかという思いだったけど。その折のことが何か妙に心に引っかかっている。 |
2011/10/15 対話(ダイアローグ)の風景 或る時期に趣味で写真を撮り始め、しばらくはあちこちと花のおっかけに忙しく、ごくごく素直な写真を喜んで撮っていたものだ。それがまったくの偶然に仕掛けられて、多重撮影に凝り始めた。そのきっかけというのが実に志賀高原への写真撮影ツアーに参加した折の出来ごとにあった。 |
2011/9/30 ビオンについての覚書 我らがビオンについて、かつて彼が幼少時に吃りで悩まされたとは聞いていない。でも何故かしら、彼が吃りだったかもしれないとひょいと頭に閃いた。意識と無意識の隙間に挟まり、にっちもさっちも身動きつかない、宙吊り状態。何かものを言おうとすれば、もう吃るしかないのだ。彼の母親は「わけのわからないことばかり言ってないで!」と、息子をよく叱ったようだ。つまりは「きちんと喋りなさい!」ということだが。おそらくはきちんと喋れないのは言語的レベルの問題ではなく、彼の場合、‘思考’が吃っていたからだろう。意識で論理的な筋立てして喋ってる脇合いから無意識のあれやこれやがカットインするのだ。収拾が付かないまま。かくしてぶきっちょでぶざまな己自身に彼は幾度となくうちのめされたろう。で、結局のところ母親の言を取り入れて「きちんと話すこと」にしたのだろう。詰まりは‘調教’。馬の調教にも似て、鞭に追われて、勝手に体をピクッなどさせることすらも断じて許されず、なぜならばそれは見苦しいdisgracefulのであって、断じて「大英帝国」の未来を担う良家の子弟には許されなかったのだから。誕生地のインドを離れ、故国イギリスで辛くないはずもない寄宿制学校での生活になじむにつれて、野心家の彼は順応した。結構うまくやったと見受けられる。だが彼はどこまでもぶきっちょでぶざまな自分につきまとわれたであろう。彼がついに精神分析の道へと踏み出すとき、オックスフォードの面々は誰しも眉をひそめたとか。精神分析など外道とやら、邪道とやら。だからこそ、なおのこと彼は惹かれた。それで自分の身の置き所をようやく察知し得たのだろう。それからミセス・クラインとの遭遇がある。彼女とのパーソナル・アナリシスはトラーマ(外傷)となり、乗り越えるのに10年掛かったと彼は回想している。だが真相なぞ誰も知らない。 |
2010/09/14 白い稽古着の女の子 その女の子がどこから来たのは知らない。蕁麻疹の薬をもらいに立ち寄った近くの皮膚科医院の待合室に彼女は立っていた。白い稽古着に身を包み、白帯をきりりと締めている。「極真館」との青い刺繍文字が威光を放っている。細身で小柄、10歳ぐらいだ。思わず「恰好いいわねえ・・」と声掛けた。「空手?合気道?」どちらかと尋ねると、「空手・・」とぶっきらぼうに返答あり。なんて羨ましい!と溜息混じりに思わず私の口から漏れ出る。彼女は満更でもない顔付きで、きりりとした表情を崩さない。あとで推量するに、おそらくはそこの医院の女医さんのお嬢さんで、母親の診察時間が終わるのを待っていて、母親の運転で空手道場に車で送ってもらうところなのであろう。自分の娘に空手を習わせる母親というものに、いつにない激しい羨望を抱いた。いいなあ、いいんだあ!「眠ってた子が起こされた」みたいに・・。 |
2010/08/03 童心という探しもの 私は何か‘探しもの’をしていた。獏としたことばが心のうちにまるで刺さったままみたいに疼く。こうした場合、私という‘掘削機’は無意識に心深くグリグリと沈潜し、ことばの鉱脈を当てずにはいられない。いかにも「ここ掘れ、ワンワン!」といったふうに。それも無意識に‘嗅覚’があればの話だが・・。それが「童心」ということばに端を発していたのは明らかだ。 |
2010/07/15 聖霊降臨・炎のような舌 人はある瞬間に遭遇した言葉に突き動かされ、付き従うことがあるのではないか。不意を突かれ、己の‘不知’に躓き、前に一歩も進めず立ち往生する。それから、「それは何か」を知らねばならないと・・好奇心に燃え奮い立つ瞬間がある。そんなことが私にもあった。 |
2010/05/20 アレックスに呼び掛ける 『アントナン・アルトーのデッサン集』のページを繰りながら慄然とした。ああ、まさに、これはアレックスじゃないか!鈍い衝撃にうちのめされ、一瞬にして私の心の封印が溶け、アレックスが忽然と蘇った。 |
2010/03/30 小さな弟(妹)よ、ガンバレ! 「井上陽水」の賑々しい歌声が聴こえてくる。時折その歌詞にクスッと思わず笑いが内から漏れる。我知らず唇の端がゆるみ、ニタッとしてくる。 |
2010/03/03 A・アルトーと近代的自我 アントナン・アルトーを読みながら、ふと近代的自我の苦悩を描いたとされるバイロンによる詩劇『マンフレッド』(1817)を想起した。アルトーはバイロンの血脈なのか! |
2010/02/21 こころの遺伝子を継ぐとは 旧知の友I.M.から講演のため上京するので会いたいとのメールあり。相変わらず現役ばりばりのケースワーカーやってる!とうの昔に引退して悠々自適のお暮らしかと思ってたのに・・。 |
2010/02/15 ロープウエーで宙吊りに ふと一瞬頭を過ぎった白昼夢的イメージ。雪山だろうか。 |
2010/01/16 命拾いしたいのちたち 実にケッタイな夢だ。かつてロンドンでご一緒したことのあるSさんのお宅で家族団欒中。傍らに娘のJ子ちゃんが。ご主人のM夫さんもどうやらいるみたいな。 |
2009/11/24 ホームページ開設に 「ホームページ」開設にあたって、一つの感慨あり。 |
2009/11/13 「ことばを拾う」とは S.H.の話。 |
2009/10/17 「WANTED」をめぐる相剋 H.K.が亡くなった母親との内的対話を深めている。彼女の眼に生前自分はどう映っていたのかと自ら問うた話あり。 |
2009/10/03 テディベア作家たち イギリスでも勿論、「くまのプーさん」のロビンみたいに、幼い子どもはテディベアが大好きだけど。まさかおとなの間でも根強い人気があり、日本でも人気沸騰中だなんて驚き!なんと「日本テディベア協会」までもあるんだそうな。知らなかった。たまたま「小田急百貨店」の『グランパパ』に立ち寄り、居並ぶテディベアたちに目をぱちくり。もはやアートの領域なのだ。 |
2009/08/05 AWAKE-UP!そして西田哲学 母親を訪ねての帰りの新幹線の車中。窓の外に流れゆく闇と折々に点在する灯りとを眺めながらぼんやりとあれやこれや回想。楽しく語らいながらも時折ふと老いた母親がもはや「あっちの世界」に行ってるみたいな印象を抱くことがあったと、ふとそんな瞬間が心に蘇る。そろそろ覚悟を決めなきゃと・・。やはり気が重く沈む。 |
2009/07/27 宮澤賢治童話「マグノリア」 <午睡の夢1>:山道。ツアーの企画。山奥に咲く白い花タイサンボクを見にゆこうということらしい。もはや集合の時間はとっくに過ぎている。一人で。向こうから男性とそのこどもらしいのに出くわす。道が途中高い段差になっている。私を先にゆかせてねと言って、そこを降りる。彼らはそのツアーからの戻りらしい。私はこれから。腕にタイサンボクの花束を持っている。でもそれは造花。本物のタイサンボクを取りにゆくところ。彼らの後ろに一本白い蕾が付いたタイサンボクの枝が落ちていた。それを彼らに指し示す。落としましたよと。まだ間に合うかな?暗い道。引き返したほうがいいかな?? |
2009/07/20 西田幾多郎記念館 <夢>:高台の家。内部の設計がおかしい。玄関がだだっ広い。奇妙な間取り。外に出ると樹木が。見上げると、大きな木に白い花が。椿か。ああいいなあ。さすが旧い家だけあると感心。居間に父親と母親が。土製の仮面やら壷やら収集品が部屋中に飾られているのが窓越しに見える。玄関の横の裏手を若い女と歩いている。崖みたいで道が傾斜している。危うく落ちそう。男が手を引っ張ってくれた。畑があり、大きな赤いトマトが鈴なりに群れをなして生っている。どうやらすべて腐っている。使い物にならないようだ。裏手の台所へ向かう細い道を歩んでいる。 |
2009/07/08 からだの点検.こころの点検 なぜに意気阻喪しないのかしら?からだのどこにも不安が巣くってるような気配はない。落ち込みやら強張りやらも。なんでやろ?見えてきた。微細な心の動きが。鬼さんメッケ!をやってるかな?かくれんぼしてた鬼さんが。光りが届く。キャッチする!心のうちなる相剋・葛藤にいちいちつまずく手間暇がどうやら省けてる。確かに手間取っていちいち躊躇したりするのが無いぶん、消耗感が少なくてすんでいるのかも知れない。現実は悲壮だとしても。何故かしら、悲観という闇に覆いつくされてはいないのだ。この感覚は妙だ!まるでアッカンベー!がイナイ・イナイ・バー?にギア・チェンジしたみたいな?!ほんとかな? |
2009/06/27 私がバイクの講習なんて 久しぶりに妙に現実味のある夢を見た。 |
2009/04/03 青い柔道着の女の子 日付ははっきりしないが、おそらくは今週の月曜(3月30日)の朝だったか。夢を見た。あれっと、ちよっと嬉しい気分が残る。気になったがメモ書きする暇がなかった。<女の子が青い柔道着を着て男と立ち会っている。> 相手の胸を借りることを有り難いと喜んでいるらしい。相手の男は背が高く痩せてる。白い柔道着を着ていた。青い柔道着って初心者が着るんだっけ? |
2009/03/27 アメリカ原住民の顔写真 昨日のこと、代官山の裏道をあっちこっちうろうろしていたときに目に留まったものがある。革ブーツやら鞄やら革細工ものが並ぶ店先。その玄関脇の壁にセピア色の写真が20枚から30枚ほどだがびっしりと無雑作に貼ってあった。 |
2009/02/28 タスキを手渡されたのか <夢・その1>:ウィークリー・マンションのような一室。しばらくの間の仮住まいらしい。引越し荷物はどこかに預けてあるらしい。そこに泊まる段になり、そこのホテル従業員らしき若い男が応対してくれてる。柔らかい手触りのブランケットを一枚持ってきてくれた。そこのホテルの備品。取り敢えず貸与してもらったらしい。・・夜道を歩いてる。バス停に向かってる。後ろから男が付いてきたらしい(姿は見えないが)。バスが来たからと乗り込む段に、一緒に来てくれたその男に振り向いて私が礼を言ってる。 |
2009/02/27 記録がなければその事実も <今朝の夢>:店内。テーブルの上にあった硝子製の小さなボトルを落としてしまう。通り過がりにからだが触れたらしい。昔の醤油瓶に似てるが、薄青で綺麗。ちょっと魅せられたが。オブジェ風でいい。値段は付いてなかったけど。床に落ちて首の辺りで割れたみたいだ。私はあまり動じてない。さらに店内に並べてある手織物のショールなどを物色。その後、レジの女性店員に事の次第を告げ、それもいただきますからと、その壊れた硝子瓶を買い求める。私の買い物した荷物の紙袋が店内のあちこちに置いてある。それらを抱えて店を出る。それからさて何処へ向かうのかよく判らない。行き先を間違えたみたいな焦燥感あり。 |
2009/02/24 メルツアーの翻訳をめぐって <今朝の夢>:かなりごちゃごちゃしてる。人だかりあり。マーケットの広場のような。台座の上に何やら物を並べている。一対の雛。ちょっと地味。さらに男が持ち込んだ手作りの一対のちょっと派手めな雛、前の雛を隅に押しやり真ん中に置く。スリッパの形で花の飾り立てのあるフェルト製のオブジェも。ちょっといいかなと思うが。後から女性がビニール袋いっぱいに幾つも花束を持ち込む。それらを台座の真ん中に並べる。しばらくして全体に薄暗くすべてが消えた。後方辺りに父親がいる。鉢の土壌を植え替えしてるらしい。私が誰かと話してる。私がいつもベランダで植物の世話をしてるのを遠くから見てると言われ驚く。青山とか六本木の園芸店だというのだが。父親の方を見ると、植え替えの作業は済んだらしい。それら植木鉢を壁にある棚に載せるのに手を貸す。鉢は少々傾いてるが、どうにか収まってる。 |
2009/02/23 ムージル小説「愛の完成」 ムージルの「愛の完成」を読んでる最中、一瞬或る一つの映像が頭を過ぎる。<暗闇の中を歩いている。>記憶を辿ると、ああそうだと思いあたった!『府中美術館』の帰り道だ。途中の道すがら店をあっちこっち物色してるうちに夕暮れて。駅を目指してるつもりが、方向が怪しい。明るめを目指して進むが、どうやら立入禁止の駐車場の中に紛れ込んだらしい。一台の車がまともに自分目掛けてくるのを目にしてヒヤッとして避けたが!あの時の、とんでもないところに紛れ込んだという切迫感。ムージルの「愛の完成」がどうしても腑に落ちない。行きずりの男と性的な関係を持つことがどうして愛する夫との愛が完結するというのかしら!錯綜しかつ倒錯めいていて、ついてゆけない。ただそれは有り得ないというのでは無論なく、妻なる人或は母親がおそらくモデルらしいという意味で現実感はある。だがどのような理屈づけ・筋立てにしろ、その裏に妖しく烈しく燃えたぎる雌的な衝動性がぐりぐりと精緻にえぐり出されている。大した筆致だ。これじゃそこら辺のありふれた精神分析かぶれなど眼じゃないだろうことはよく解る!フロイトの女性患者の症例すらも見劣りする!やはりムージルは類いなく非凡だ。 |
2009/02/16 映画「中国の小さなお針子 <夢>:性懲りもなくといった感じで。又々だ。わけが解らぬ。男が眼の前で時計の分解修理をしている。どうせ捨てるものだからと、でも何故かしら、使えるものなら使おうと思ったのか。私が彼に腕時計を預けたらしい。意外にもその男は丁寧に仕事に没頭している。俯き加減に分解したピースを並べている。とても私には手に負えないと眺めてる。待っていても、そう簡単に終わりそうにない。それを預けて帰ろうとする。ところが、妙なことに、その彼の傍らでコンロに掛けてある味噌汁の鍋の中に冷めて強張ったご飯をほぐしながら少しずつ入れて雑炊をつくってる。どういうの!? |
2009/02/14 心の声を聞いている! H.K.の語った夢だが。かなり複雑かつ巧緻な印象。あれやこれやの想いが重層的、圧縮率も高い。連想を掘り下げてゆくなかで、さまざまに彼自身の経験が幾重にも重なり繋がってゆく。手応えあり。メンタルスペースの拡がりが窺われる。 |
2009/02/12 夢のお告げあり <夢>:眼の前に一枚の紙を示される。「勧告書」のようだが。‘帰命’という字あり。他にも幾つか字が並んでいて、従順やら。どれにするか選べということらしい。辞書には帰命という漢字は無い。回帰・復帰・帰依・帰属。これらいずれも何やら心撃たれる。「あるべき所におさまる・おもむく」の謂いとやら。ああ、いよいよだわ。もはや逃げも隠れもできないってわけか?!ごまかしようがない。独りだわ!もうやるっきゃないってこと!ついにいよいよ召命callling というわけか?! |
2009/02/10 自立した親と娘がいて 「精神分析」の歴史をひもとけば、ああこれが自分の親なのか!と、何かの拍子に興ざめ鼻白み、そして羞恥の念で凍りつく。一瞬私は知らない、関係ないと背を向けて去ろうとしては凝然とする。逃げ道などもはやあろうはずもないのだから。まさに自分の親を親なるものとして疑わず、その子どもとして生きてきたことを、今や一切合切剥ぎ取れるものなら剥ぎ取ってみたいといった衝動が起こる。剥ぎ取ってどうなるものでもないのに。 |
2009/01/29 親子間での代理贖罪 自分に対して自分が責任あるという精神分析の大前提は揺るがないとして。何やらそこに無理があるような。懐疑がふと過ぎる。遺伝を殊更に論(あげつら)うことをしないまでも、果たして本当にまるごと自分が自分であることに責任があるのかしら?T.S.のことだが。「オネショたれ、それが私!」を生涯にわたり引きずってきた。でももしも彼女の母親がああではなくて、別の違った対応がなされていたならばどうであったろう?そこにどんな言葉があれば、どんな介入があれば、どのような寄り添いがあれば、「オネショたれ、それが私!」 が彼女にとって無縁なるものとして回避されたといえるのだろう。それを自分だと思い込むそれとはそもそも何なのだ!? |
2009/01/26 エミール.ゾラ「パスカル博士」 今朝の夢。陳腐なようで。何か意味あるのかな?或お宅で私は問題のある娘の家庭教師をしてるらしい。その傍らに彼女の妹がいる。何やら箱型の電池を手にしてまさに分解しょうとしているところ。火花が一瞬散った?危ないからとやめなと叱るが。お姉ちゃんの言うことを一向に聞き入れる気配なし。姉の方が問題と思ってたら妹の方が問題やと思う。そこに彼女らの父親が帰宅。姉が彼の耳元に何やらひそひそ話。矛先が私へ向かってる。流しに立ちながら、私に独身か?と彼が聞いた。明らかに嫌がらせ。独身だと家族のことはわからないと言うのかと聞き返す。孤独というのとも違うと言おうとするが。しかしもはや何も話す気は失せて、そうですか?と引き下がろうとする。そこに玄関口に男たちの姿が・・。何やらトラブルありなのか?関わり合いにならずにそのまま退散・・。 |
2009/01/23 己が己たる由縁 <今朝の夢>:どうもややこしい限り。どこか田舎。旅行中らしい。辺りを散策。阿見かしら?近くに住む幼馴染のフミヨさん宅を訪ねようと思いつく。昼前だが行ってみる。ちょうど祭の日らしく人が集まっている。フミヨさんらしい若奥さん。特に表情なし。帰り際、そこに集まっている男達が話してる。作家とか臨床家とかマルチ有名人はダメやとやら。ホテルに戻ろうとする。ミエさんにメールしょうとする。ツアーなのに、私は無断外泊したみたいだ。一人皆に取り残され置き去りにされたかと心配。バス停あり。「名古屋駅行きますか?」と聞くと、そうだと言うので来たバスに乗り込む。中は混んでる。座席にホームレスらしき風体の男。背を向ける。床に何か帳面を広げて書く。傍らに本があり、開かれたページに中原中也か宮澤賢治かいずれかの詩があり、その本の持ち主らしき若い女性にニコッと微笑みかける。 |
2009/01/08 ゾラとフロイト フロイトがブロイアーと共著で「ヒステリー研究」を出したのは1895年。彼がシャルコーの元を訪ねたのは1885年から1886年の5ヶ月間。一方ゾラは1867年「テレーズ・ラカン」を病理学的研究作品と銘打って出版。これは彼の自然主義理論の根拠となるテーマの「種族・環境・自我」による決定論。クロード・ベルナールの「実験医学論」に依拠している。この1867年頃、神経症(ネヴローズ) という用語はゾラの時代に急速に一般化していくわけで。時代的背景、特に女性の抑圧的状況を知る必要あり。その性と身体の実態こそが問題になっていたわけで。神経症とは個人をむしばむ根元的な病理のメタファーだとして。自然主義文学に通底する病いというテーマは、見逃すわけにはゆかない。ゾラが「自然」とか「真実」を謳うとき、個人をつうじての物語りを一般的な人間性と普遍性に到達するための概念として使ってるとしたら、そこに傷んでいる人々の贖いが究極に求められてはいまいか!徐々にうすぼんやりながら時代が顔をもったものとして立ち現れてくるようだ。ゾラがフロイトに先駆けてエロスとタナトスとの結びつきを赤裸々に作中に暴露しているわけだ。 |
2009/01/07 ゾラ、ムージル&カネッティ ゾラの己の才能に対する自信が凄いのだ。彼が17歳頃に友人に書き送った手紙のなかの文面、「ぼくは自分のうちになにものかを感じる。そして、そのなにものかが実際に存在するなら、早晩、それはきっと明るみに出るにちがいない。」まさに神に選ばれし者といった気概に満ちている。存るやもしれぬ「なにものか」、今は闇の向こうに姿を失っているとしても、いつしか必ずや己を訪なうことを信じている。幻視の人というべきか?現に顕現させんとすることへの内なる意欲は途方もなく大きい。懐疑が彼を躓せることはなかったとは!「私は見た、故に私はそれを知る者だ」という信念に裏付けられている?!さらにふと思う。このこととゾラの母親がしばしば神経性の発作を起こしたことと果たして関連するのだろうか? |
2008/12/25 TVドラマ 「風のガーデン」 結縁力についての追記。昨日、半覚醒夢を見た。読書していた折だが、眼はエミール・ゾラを追い、耳は「中村明一」の虚無僧尺八の響きに満たされてたわけだが。意識があちこちとさ迷う。ある瞬間不意と一つのイメージが湧き立つ。<白髪の老女がにこやかに教室の中でこどもらに笑みを投げ掛けている。授業中か、こどもら(後ろ向き)は椅子に座ったまま。その傍らにこちら向きに彼女が立っている。>何かボランティアしてるらしい印象。年寄りでも出番がまだある?!そんな印象。自分が?まさかとは言わないにしても。さてどうかな? |
2008/12/24 結縁力と夢想 結縁の力とは、自分を取り巻く事象に対する主体の媒介性の有無に関係する。自らの感覚が取り込んだものが、己自身にとって媒介的であるのか、無媒介的なるものか。いずれとなり得るかは、何が決め手となるのだろう。ここにビオンのいうところの「夢想」との関連を見る。夢想とは、結縁を妊む行為なのだ。つまりはそれが生成成就するための契機を宿している。可能態がいつしか現実態に変換される、結縁が生きられるために。そんな時がひそかに醸成されている。それが人の心とは言えまいか。 |
2008/12/23 自伝的自我< 心理臨床家の資質として、何よりも「結縁力」が問われる。即ち、縁起を自在とする力。縁起とは、森羅万象の眼目である。物事が生じる、転回する、消滅する。いずれにしてもそれらの現象が何故にそして果たして何に起因しかつ帰着するのか。知を愛するとは、縁起に対して主体を唱導する志をいってはいないか。精神分析とはその先鋭的な一つの形と言っていいのではないか。無意識の流れに竿さすこと。無明に一筋の光を照らすこと。即ち、私という主体が私なるものが在ることを証しせんとして。 |
2008/12/21 心理臨床という結縁< ふと思い付いた!精神分析での分析者と被分析者の関係を‘契約関係’といってきたのだが。これは正しくは‘結縁(けちえん)関係’というべきではないか。前者はいかにも、技能を売りものにする者即ちプロフェッショナルと、その技能を活用すべく求める者との間の、つまりは売り手と買い手との取引きにも似て、確かに或種のcommitmentなのだが。後者について言えば、結縁という以上、それを遥かに超える何かが問われる。むしろcommunionとでもいったような。そうならば、そこには義、実そして信といったものが期待され探求されずにはすまされまい。 |
2008/12/17 分析終了の余韻 N.T.の分析がひとまず終了した。やれやれ、最期に決めが入った。今一つ鈍重な印象が否めなかったのだが。今日報告された夢がそれを理解するきっかけとなった。よくぞ粘ったと褒めてやりたい。分析家として相手次第では役に立つこともあるんだわと思う。やれやれと安堵もできない気分だけど。昨夜就寝前に頭に浮かんだ幻覚は、些か内心の動揺が露呈していた。<ヘアードライヤーの先の替えの部分がカチャと嵌まるかどうか不安がってる。>嵌まらなければ使えないわけで。電化製品というのはいつ故障するかわからないものなのは承知しているが。気分的に滅入る。買い替えればいいとわきまえているつもりでも。パソコンのときなどその最たるものだが。パニック、もうおしまいかあ!とまるで自分の消耗期限を思い知らされるようなのが実に嫌だ。それも大袈裟な! |
2008/12/13 想像力に手が足が M.N.に語ったこと。「想像力に手やら足やらが付いてきたわね」とは?心理臨床とは目鼻立ちの無いものに目鼻立ちを着けてゆくことだ。従って分析家が補助的に分析対象の目となり耳となり口となりは当然だが。更には手となり足となるとはどういうこと?その意味するところは即ち、それじゃなくてこれ、これをどうぞと示唆できること。そっちじゃなくてこっち、こちらへどうぞと誘導出来ること。手の無い人に手を添えて、掴むことを奨励し、足の動かない人には伴走者になる。 |
2008/12/07 映画「学校」&「ウザーラ」 今朝、奇妙な夢を見た。<教室があって、そこはどうやら試験の真っ只中らしい。私の前の座席に男が二人並んでいる。その左側の男の答案用紙を後ろの座席から私が覗いている。彼が書いてる答そのまんまを丸ごと自分の答案用紙に写している。自分にはさっぱり訳がわからない問題みたいだ。彼のを見て、エヘッー、さすがあ!と感心してる。外国語であるらしいが、どうも自分が慣れた英語とも違う。総てがたどたどしい限り。自分はただ考えなしに写し取ってるだけ。採点者がどうにか判読できればいいんだがと、些か投げやり。そのうち最後の設問の答は時間切れで、丸写しもかなわず。あまりにもいい加減。気持ちがざわつく。>
以上だが、なんでこんな夢見なくてはならんのか!誠に不可解。 |
2008/12/05 「フィギュア」特集番組 先日テレビで「フィギュア」の特集していた。20代30代の男どもの熱狂。勿論ブームには仕掛け人はいるわけだが。かつてのプラモデルファンの少年たちがこの時流を作っていると知ってナルホド!私のまるで興味を引かないジャンルだ。フィギュアが昔の流し雛の系譜という捕らえ方はまずいいとして。‘恋愛感情のよりしろ’というのは問題だ。時間の川に流すんだとか。確かに言い得て妙なりだが。 |
2008/12/03 つげ義春の日記 日々の暮らしの中で埋没する想念の断片のあれこれ。漫画家つげ義春の日記を読んで何かしら感じ入るものがあった。私小説をよく読むんだそうだが。確かに人の内面の赤裸々な記述には嘘臭くないリアリティに触れられることの愉悦がある。探求する方向は間違ってはいないだろう。私もふと思い付いて雑事を書き記すことを始めた。誰の眼に触れるはずもないのに。妙な抵抗があるからかしら。変な夢を見た。 |